自己紹介

妻 さとうのプロフィール 

さとう とは、、、?

 

さとうって誰?

 

一体どんな人物なの?

 

今日は、このブログの管理者である私、「さとう」についてのお話しをします。

略歴

さとう 女性 既婚

1994年生まれ 26歳 (2021年4月現在)

短大栄養学科卒業後、委託給食会社に就職。

栄養士として病院に配属されるも激務により1年半で退職。

その後はパチンコやコストコなどで適当にアルバイト。

現在会社員 一般事務3年目

現在の会社に入社後、1年目に抑うつ症状を発症し、精神科を受診。

結果、「社会不安性抑うつ障害」と診断され、

現在も精神科へ通院し、抗うつ薬と睡眠導入剤を服薬しています。

仕事は現在病気休暇中。

休暇中に持て余した時間で、自分の今後の生き方を考えた時、

「一生会社勤めは私にはマジで無理だ。」

と、直感で感じ、会社に属さずに生きていく方法を模索した結果、このブログの開設に辿り着きました。

 

出身や育ちについて

生まれも育ちも千葉県千葉市。

両親も両祖父母も千葉県内に居ます。生粋の千葉っ子です。

兄弟はいません。一人っ子です。

 

両親は、父母ともに聴覚障害を持っています。

両親とも伝音声難聴です。

《伝音声難聴とは、、?》
ざっくり説明します。
難聴には、大きく分けて2種類あります。

①感音性難聴 … 水中にいるときのような聞こえ方がする。大きな声や補聴器でのカバーは難しい。

②伝音声難聴 … 耳をふさいだ時のような聞こえ方がする。大きな声でゆっくり話したり、補聴器を使用することで聞こえをカバーする事が出来る。

 

父は、公立学校の普通学級で、補聴器を付けて教育を受けていたため、手話は使えません。

母は、聾(ろう)学校で、補聴器を使わずに教育を受けたため、手話を使って会話をします。

聾学校とは、聴覚障害を持つ子供が通う学校の事です。

 

私は、父とは口話で、母とは手話を使って会話をします。

私の手話のレベルは母とだけ手話で会話が出来る程度で、

英語でいうところの日常会話レベル以下です。

仕事で使えるほどでは全くありません。

実際にアルバイト時代の時などに聴覚障害のあるお客様と手話での会話を試みましたが、

まるで歯が立ちませんでした。

 

父親からの虐待

両親は絶えず喧嘩をしていました。

口喧嘩から、次第に手が出て、大きな暴力へ発展することも珍しくありませんでした。

母の体には常に傷やあざがあり、父から刃物を向けられたこともあります。

私は泣き叫んで二人の仲裁に入っていたことをよく覚えています。

父から母へ暴力を振るう光景は、今でもトラウマです。

また、昭和時代など昔の家庭ではよくあったことかもしれませんが、

父からは「しつけ」と称したげん骨や罵声がありました。

深夜番組を見ていても特に怒られることはなく、

今で言うところのネグレクト(育児放棄)もあったように感じます。

結果、小学生ながらに就寝時間は平均4時間程度。

朝は本当にだるくてしんどかったです。今でもその習慣が治りません。

 

唯一の味方

そんな中でも、母だけはどんな時も絶対的な私の味方で居てくれました。

父の暴力から常に私を守り、父の暴力を伴う考え方に真っすぐぶつかっていました。

母は常に私のすべてを肯定し、無償の愛を注ぎ続けてくれました。

母がいなければ今の私は存在しません。

クラスで馴染めない子

父からの虐待のある家庭で育った私は、

寝不足で授業はいつも上の空。友達との会話にも興味がわきません。

友達が家庭での出来事を楽しそうに話す姿が嫌いで、きつく当たることもありました。

当時は太っていたということもあり、私は「へんな奴」「キモイ」「うざい」の対象になり、

小学校・中学校とクラスでかなり嫌われ、浮いた存在でした。

 

場面緘黙症の発症

毎日のように悪口を言われ、私は次第に自分の存在を消すようになり始めます。

変わらず接してくれた少しの友人以外に対しては、

決して自己主張はせず、笑いもせず、声も発さず、顔は真顔。

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)と呼ばれる症状に陥りました。

場面緘黙症とは、極度の緊張や不安状態にある場合、声を発する事が出来なくなるという症状です。

現在でも、克服は出来ておらず、緊張や不安な気持ちが強くなると場面緘黙の症状が出ることがあります。

 

恵まれた高校・短大時代、そして社会人へ、、

幸いなことに、高校・短大では友人に恵まれ、場面緘黙や強い不安に悩まされながらも、

小学校・中学校ほど強く症状は出ず、なんとか卒業をすることができました。

期待に胸を膨らませ、いざ社会人となった私ですが、この記事の冒頭にある略歴の通り、

やはりなかなか厳しい現実が待っていたのです。

 

なげやりこの理念

まずは、どこの誰だかわからない人の成育歴を長々と

お読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。

このブログは、どこにでもいるごく普通のいち社会人が、

社会の荒波にもまれながらももがき生きる様をお見せしていくこと、

また、同じような境遇の方々が私のブログを通して少しでも

元気になったり、勇気をもらえたりする場所になればいいなと思い始めました。

そしてそれが私の理念です。

投稿の内容としては、精神疾患の事、HSP、いじめ・虐待を受けた経験を持つ私の

生き方についてが中心になります。

至らない点も多々あることかとは思われますが、どうぞよろしくお願い致します。

 

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