メンタルヘルス 体験談

市役所に勤めたら鬱になった話

こんにちは、さとうと言います。

私は2021年3月から抑うつ神経症により仕事を休職しています。

今日は、私が市役所に勤めてから抑うつ神経症を発症し休職するまでの経緯を

書き残していけたらと思います。

今回は文字ばかりが続く内容になりますが、

誰かの役に立てたらという思いで赤裸々に記していくつもりですので、

お時間のある方はぜひゆっくり時間を取って目を通していただけると幸いです。

この記事は15分ほどで読む事が出来ます。

 

夢と希望に満ちた始まり

私が某地方自治体の正規職員となったのは2018年4月。

23歳の時でした。

 

市役所に入る前は病院で栄養士として働いていました。

栄養士の仕事は早朝5時から夕方19時頃まで厨房で肉体労働。

薄給でサービス残業も多く、どれだけ頑張って働いても

月の手取りが20万円を超える事はありませんでした。

1年半ほど勤めていましたが、当然のように有休は使わせてもらえず。

シフト制なので友達とも予定が合わず。

というより疲れすぎて遊ぶ気力もなく、、、そんな過酷な労働環境でした。

 

なので、次の仕事はとにかく福利厚生がしっかりしていて、

肉体労働ではなく座って仕事がしたい!!と思い、

そこでふと頭に浮かんだのが公務員という職業でした。

私は、子どもを産んだ後も正社員として働き続けたいと思っていたので、

一般的に産休育休制度が充実していて、

復職もしやすいイメージのあった公務員という仕事は

それはそれは魅力的に感じたのです。

 

短大卒の私にとって、

エリート現役大学生と肩を並べて競い合う公務員試験は

決して楽なものではありませんでしたが、それでも何とか、

現在勤めている自治体から内定を掴み取る事が出来ました。

 

さて、いざ某地方自治体への内定が決まり、

将来の安泰と希望に胸膨らませる公務員生活が始まります。

配属された先は社会福祉関連の部署でした。

生活保護の業務が中心となっていますが私は班の庶務だったので

そこまで激務という訳でもなく、研修を受けたり、所内の雑用を

こなす日々を送り前職との差に感涙したことを覚えています。

 

コーヒーを飲みながら椅子に座ってのんびり仕事が出来るってなんて最高なんだ…!!

休みも前職よりぐっと増えて、有休なんて初日から20日も付与される!!

夢にまで見たゴールデンウィーク!!夏休み!!

給料は残業なしで諸手当含めて手取り18万前後と、

そこまで高いわけではないけれど、それでも前職と比べたらずっとマシ!!!

あー、公務員ってなんて最高なんだ…!!

頑張って転職して本当に良かった!!!

当時は心からそう思っていました。

 

違和感

私が異変に気が付いたのは勤めてから約半年が経った頃。

課長から上司への当たりってなんかキツイような…?

なんか私の上司、毎日のように課長に怒られてないか…?

しかも課長の指摘って、なんか重箱の隅をつつくような、

正直どうでもいいようなことばかり。

そういえば同じ班の職員Aさん、うつ病で休むんだっけ…

本当にいるんだなぁ休職する人って。

周りの職員もなんだかAさんの悪口ばっかり。

人の悪口って聞いてて良い気がしないな。

 

次第にそんな職場の雰囲気が窮屈に感じ始めました。

毎日同じ机で同じ人と近い距離で仕事を続けるのって

なんだか監視されているようで落ち着かない…。

今の電話の受け方、変じゃなかったかな…?

周りの人に電話の内容を聞かれるのって嫌だなぁ。

市役所の職員って皆すごく不愛想で怖いし、

だるそうに仕事していて同じ空間にいると気持ち良く仕事できない。

違う部署の苦手なあの人に仕事の確認しにいかないと。

あぁ嫌だなぁ、話しかけたくないなぁ。

今日は確か課長と打ち合わせなんだよな…怖いな、行きたくないな…。

 

気持ちはだんだんとふさぎ込み、抑うつ症状が出るまでに長い時間を要しませんでした。

 

車での通勤中に聞いていたラジオが鬱陶しく感じる。

夕飯を作るのにイライラして舌打ち、発狂。

文書を読もうとするも文字を眺めてばかりで全然内容が頭に入ってこない。

些細なミスが増えて、申し訳なさから肩身が狭く感じてさらに居心地が悪くなる。

 

完全に悪循環に陥っていました。

 

ただ、仕事柄精神疾患に関する資料をよく目にしていた事もあって、

自分のこの症状はもしかしたら鬱状態かもしれないと早めに気付く事が出来たのは、

不幸中の幸いとでも言えるでしょう。

 

案の定、精神科では抑うつ状態ですと言われ、

そこからは通院・服薬しながら仕事をしていくことになりました。

 

 

転機

通院・服薬を開始してはや一年。

不思議と日中の仕事は捗るようになり、

私は水を得た魚のように、再び元気に働きだす事が出来ました。

このままいけば、断薬するのにもそう時間は掛からなそうだな。

子どもも欲しいと考えているし、早く薬辞めたいな。

この頃には主治医の先生にも断薬の意思を伝えていましたが、

医師からはもう少し様子を見た方が良いと言われていたので、

はやる気持ちを抑えながら、断薬できる日を心待ちに過ごしていました。

 

しかし、三年目の異動を機に私の生活は大きく変わるのでした。

三年目の私の所属は変わらず福祉部署でした。

部署は変わらなかったのですが、仕事内容に大きな変化があったのです。

かねてから、うつ病で休職していたAさんの仕事を、

今度は私が受け持つことになったのです。

Aさんは、社会福祉士として生活保護のケースワーカーをされていました。

前々から休みがちで、同じ部署の人からは

仕事が回らなくて困るという声が挙がっていました。

このままでは本当にどうにもならなくなってしまうので、

急遽、私に仕事を担当してほしいと声が掛かったのです。

私は内心、すごく嬉しかったのを覚えています。

正直これまでの仕事量は少しだけ手持無沙汰で、

同じ班の先輩方のように格好良く

生活保護の仕事をこなす事に憧れを抱いていました。

同時に、もともと持っていた仕事が減るわけではないので、

いきなり業務量が増えることについて不安に思う気持ちもありました。

それでも、班の一員として仕事を任せてもらえたことがうれしくて、

私は二つ返事でその仕事を引き受ける事となりました。

 

その時は徐々にやってくる…

期待と不安が半分半分に入り混じった気持ちで

早速新しい仕事に取り掛かります。

生活保護の仕事がとても大変で甘くないことは重々承知していました。

実際、簡単な引継ぎをされるとその後はもう担当者任せです。

どこの誰だかわからない人達の、膨大な記録を抱え、

あちらこちらから掛かってくる電話に必死に受け答えし、

担当世帯全てのお宅を定期的に訪問し、

顔と名前、人となりを頭に叩き込み、

介護保険やら障害者手帳やら難しい手続きのサポートをしたり、

その人に起きた事は事細かに記録に残す。

かと思えば、新規に生活保護の相談をしたいと来た人には、

2時間でも3時間でも時間を割いて相談を受け、

記録を打ち、会議にかけと、

挙げ出したらきりがないくらい生活保護のお仕事ってたくさんあります。

仕事自体は、直接市民の方に感謝されることも多く

やりがいがあって本当にいい仕事だなと思います。

ですが、私が抱えるには物が大き過ぎました。

膨大な仕事を全くこなせず、ぽつりぽつりと、私は仕事を休むようになりました…。

4月から生活保護の仕事を受け持つようになり1年弱。

3月半ばごろ、私は朝に起きるのが非常につらくなり、

また、夜もなかなか寝付けない日々が続いていました。

そんなある日、とうとう朝まで寝付く事が出来なくなり、

このまま仕事に行くことは到底できない…また休みの連絡を入れよう、と上司に電話し、

寝付けなかった状況についても正直に伝えました。

私が休みだしたころから、周りも異変に気付き

私の体調を気にかけてくれていたので、私も正直に

精神科へ通院している状況だけは伝えていました。

なので寝付けなかった状況を伝えた時も、上司は冷静に病院を受診する事を勧めてくれました。

勧められた通り、私はすぐに通院先の病院を急遽受診し、

医師から抑うつ神経症による3か月の休養を告げられたのです。

 

その後

3か月の療養後、私の調子は未だ戻らず、

2021年11月現在も休職の状態が続いています。

今思えば、私は常に200%の力で仕事をしていたのだと思います。

恐らく普通の人であれば、日々の仕事に捧げる熱量って

60~80%程度にセーブしているんだと思うんです。

仕事に対する熱量の加減が出来ず、

自分の限界を超えて仕事を頑張りすぎた結果が今なのだと思います。

そして、今後再び200%で仕事をする気力は私には残っていないかと思われます。

というより200%で仕事はしていけないのだと今回の事で学んだのです。

ですが、こうして精神疾患による休職をすると、

仮に復帰したときの周りの職員の目は、

たくさん休んだのだからこれまで以上に働くことを期待されると思います。

ですが、当の本人としてはこれまで以上どころか、

他の職員のように60~80%にセーブしようと考えているのですよね。

するとどうでしょう、

きっと周りの人から見た、復帰したときの私って、

ともすると1/3程度のパフォーマンスしかできていないと思われるんだろうなと

「仕事ができない」の烙印を押されることに恐怖の念を抱いてしまいます。

いまだ、今後の自分の進退についてははっきりとはしていませんが、

今のところ、今年度中に退職する気持ちが8割、

次の異動内示次第では復帰してみたい気持ちが2割といったところです。

正直、再び正社員として働ける自身が今の自分にはなく、

幸い夫と二人暮らしなので、無理に正社員という選択をしなくても、

パートでもなんでもいいのかなという気持ちもあります。

 

終わりに

私は今回の経験で、自分のキャパシティや能力の限界を知る事が出来ました。

結果的には、自分って自分が思っている以上に何もできないんだなという絶望感と、

まぁそれでも人間って生きていけるんだなという現実だけが残ったという感じです。

公務員は本当に福利厚生が充実していて、給料は減りますが、

休職期間は最長で3年まで認められています。

この期間を最大限有効活用して、私は残された期間を過ごしたいと考えています。

 

自治体職員はやりがいがありとても魅力のある職業ですが、

近年はどの自治体も経営難に陥っていることも多く、

一昔前と同じ業務量をより少ない人員で捌くことを余儀なくされている自治体も多くあります。

結果としてサービス残業や、やりがいの搾取が常態化する可能性もある職業です。

 

公務員をやるなと言うつもりは全くありません。

私自身今でもこの仕事は最前線で市民の力になる事が出来る素敵な仕事だと思っています。

体調さえ崩さなければ、私も本当は仕事を辞めずに定年まで勤めあげたいです。

ただ、私のように体調を崩すまでオーバーワークしてしまわないように、

皆さんには何よりも自身の体調を第一優先にしていただきたいのです。

今回の話が少しでも誰かの役に立てていたらとてもうれしいです。

 

それでは今回はこの辺りで終わりにします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

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